旅先で本気でヒヤッとした事件簿シリーズ
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コルカタからブッダガヤへ
10年前、インドに長めの滞在をしていて、そろそろ帰国しようかと思っていた時のこと。
帰国日を決めてコルカタのエアインディアのオフィスでデリーから日本に帰るフライトを予約した後、あまった数日をどう過ごそうかなと、サダルストリートのブルースカイカフェでバナナラッシーを飲みながら考えていました。
その日のブルースカイカフェにいたバックパッカーたちが口を揃えて、「ブッダガヤに寄ってきた」「ブッダガヤ良かった」と言うので、全然選択肢に無かったブッダガヤに寄ってみるかと思いつきました。
(サダルの目印。ここのラッシー、毎日飲んでました。まだあるよね?)
羽振りのいいお坊さんと出会う。
夜行列車を予約し、22時頃ハウラー駅からガヤ駅まで2Aクラスで快適に移動。朝方5時頃に到着。夜行列車で私の下で寝ていたお坊さんがTVを2つ買ってそれを持ってガヤ駅で降り、「良かったら一緒にブッダガヤに行きますか?」と誘っていただき、「コルカタでTV2つ買って帰るなんて坊主丸もうけやなー」と心で思いつつ、ありがたくAC付きの車にご一緒させてもらいました。
ブッダガヤのお寺に着いてからも、
「良かったらお寺に泊まりませんか?(もちろんタダで)」と言ってもらえたのですが、一休さんみたいに、はき掃除とかぞうきんがけさせられたらちょっと嫌やなーと邪な考えが浮かんだので、丁重にお断りし、朝ごはんだけありがたくいただき、適当なゲストハウスを探して昼寝をしました。
日本語ペラペラの人たちにうんざり。
昼過ぎにブラブラしていてもブッダガヤがそれほど私に刺激をくれない。
インフラの整っていない田舎という点は結構好きだけど、何でやろう?
何となく好きになれない。嫌いでもないけど。
お寺が多くて日本ぽいから?いや違う。
日本語ペラペラのインド人男どもがやたらと話しかけてくるのがウザイからか。
「良かったら、案内するよ」
「何か困っていますか?」
「阿佐ヶ谷、世田谷、ブッタガヤ!」とかうるさすぎる、暑いのに寒すぎる。
全部無視に決定。
インドで一番貧しいビハール州の観光地というせいか、どこへ行っても日本語で話しかけるインド人が。ブッダが悟りを開いたマハーボディー寺院がウザイ日本語のせいで邪念だらけで何も感じられませんでした。
宿までとぼとぼ歩いて戻っているところ、バイクに乗ったインド人が、しばらくついてきて、
「あなたが泊まっている宿を、僕は知っているから送ってあげるよ」と日本語で言われたので、怒りが頂点に。
「Leave me alone! ゲラウェイ!!」
と怒鳴りつけてやりました。
何で私が泊まってる宿を知ってるわけ?
ここは村ぐるみで日本人をボろうとしてるなと思い、警戒心レベル最強にしました。
そのバイクがどこかに消えてホッとしていると今度は、日本人の男の子を後ろに乗せてさっきのバイクがやってきました。
日本人男子が「この人(インド人)が、僕に、『困ってる日本人の女の子がいて、助けてあげたい』って言ってるから来たんだけど~」と言ってきたので、
「なんも困ってへんけど!」とけんか腰で言ってしまいました。
ジャパニボーイが、「ここの人たちはいい人たちで、困ってたら助けたいと思っているだけだよ。彼はサントスって言って、ほら名刺も持ってるよ。この人たちと2週間くらい俺は一緒にいるけど、全然悪い人じゃないし、何でも力になってくれる。」と説明してきました。
「いやいや、そーか知らんけど、私は困ってないし、必要ないから。そう言っといて。」と言い捨てて宿に戻りました。
小さな村で、ブラブラと半日である程度見終わり、ブッダゆかりの地のスジャータ村に行ってみたいと思いましたが、
この村のリクシャーとかの交渉がダルそうやなー、どうしようかな、もう諦めてとっととデリーに帰ってもいいしな、なんて考えながら寝ることにしました。
ヒンディー語の新聞には、連日の47度とかの気温、熱波で死者が出ているということが書かれている、と宿の主人から聞いて、何となく、日本に帰る直前になって、嫌な予感が漂ってきていました。
【後編】に続く…
(ブッダガヤの目玉。マハーボディ寺院。インチキガイドもどきが多かった…)
ブッダの足跡を辿る旅も面白いです。手塚治虫の映画、吉岡秀隆の声が合ってました。ブッダガヤやスジャータ村は2に出てきます。↓↓