こんにちは、あられ(@n0riarare)です。
空中図書館でフリーダについて下調べして、シウダデラ市場で雑貨を買い漁った私。(【メキシコ旅⑤】空中図書館とシウダデラ市場へ)
その次は、サルサレッスンの先生ハビエル(ハビエルにサルサを習った話はこちら) から昨晩勧められたフリーダ・カーロの家に行ってみることにしました。今日は私の大好きな画家フリーダの世界を写真とともにお伝えします。
映画「フリーダ」を見たから
「今回はキューバ旅がメインでメキシコはおまけ」と思ってたのに、メキシコの魅力にどんどんやられていく私。
15年ぶりくらいに映画「フリーダ」を行きの機内で見たことからやられている。
何というか、ショッキング過ぎた。
画家フリーダ・カーロの人生を描いた作品なんですが、20代の頃に見たとき以上に、胸にずしんときたのです。
サクッと伝えると(伝えられないほど波瀾万丈だけど)
18歳の時、乗ってたバスが路面電車と衝突し、多数の死傷者が出る事故にあう。フリーダも生死の境をさまよう重症(身体中に骨折、鉄杭が膣をも貫通する怪我)で3か月間ベッドで寝たきり。
事故の後遺症で背中や右足の痛みに以後の人生でずっと悩まされることになる。
痛みと病院での退屈な生活を紛らわせるために本格的な絵を描くようになった。事故のせいで恋人にも振られ、孤独感はフリーダを絵画へさらにのめり込ませた。
その後、21歳上の画家のディエゴ・リベラと知り合い、絵を認められ、結婚。
これがフリーダの2つ目の大事故とも言われ、夫のディエゴはありとあらゆる女の人と浮気。
フリーダは、事故の後遺症で3回の流産という絶望感に見舞われる。
しまいにディエゴはフリーダの妹とも浮気。フリーダはまたも絶望。
一方で絵の才能はどんどん認められていく。
ややこしいことにフリーダはバイセクシャルで、彼女の方は女性、男性問わず不倫。ロシアの革命家とも関係をもつ。
ディエゴとは離婚するも、1年後にヨリを戻す。その後、フリーダの健康状態はどんどん悪化し、脊椎の痛み、また右足の切断、徐々に寝たきりの生活へ。47歳で死去。
波瀾万丈すぎる人生。(全然サクッと書けない)
映画ではフリーダの絵画作品とともに描かれ、メキシコ旅の間中、フリーダの世界に引き込まれ過ぎてしまいました。
本人と似過ぎのサルマ・ハエック。
映画、おすすめです。
フリーダ・カーロ博物館はオンライン予約すべし
サルサの師匠ハビエルとフリーダの話をし、「フリーダの生まれ育って、最後の終の住処になった家が博物館になってるからそこに行くといいよ」と勧められたため急遽行くことにしたのですが、ハビエルが、
「ただし、絶対にオンラインでチケットを買ってから行かないとダメだ。いつも、青い家の前にものすごく長い行列ができているからね」とのアドバイス。
ネットで簡単に予約できました。時間指定になっていて、クレジットカードで支払い、Eチケットがメールで送られてくるシステムです。
着いてみて、ハビエルに感謝!
ものすごい列ができていました。こんなの並んでられないや。良かった。
というわけで、フリーダ・カーロ博物館はオンライン予約がベターです!日本語対応有り
フリーダの青い家から感じたもの
外も中も鮮やかな青。
シャウエンブルーとはまた違うビビッドな青。
フリーダの人生を思うと情熱的な真っ赤の方が合うのでは?と思っていたけど、この青に力強さもあらわれているような気がする。
フリーダの苦しみながら生きた証
フリーダが事故以来、生涯身につけていたコルセットや松葉杖からも痛みや苦しみが伝わる。
子供を流産した後の苦しみ。
昼と夜と2つのベッド。
まさに、ここで寝ながら描いていたのかと思うと感慨深い。辛さもあるけど、日当たりの良い部屋から希望も感じられたりしたのかな。




民族衣装を取り入れたファッション
私が映画フリーダを見て感じたのは衣装の可愛いさ。
実際のフリーダもオシャレだったんだな。カラフルで、民族衣装風のライン。
コルセットでも着やすいデザインだったのかもしれない。




色遣いのセンスとかに、本来のフリーダの快活さみたいなのが出てる気がしました。
だから余計に身体の痛みや動かしにくさは辛かっただろうな。
死者の日のオフレンダ(祭壇)
何かあるなと思い近寄ってみると、フリーダのオフレンダ(祭壇)でした。
死者の日を迎えるにあたり、メキシコではオフレンダと呼ばれる祭壇が祀られます。
ここにはフリーダのオフレンダがありました。
民族衣装がベッドにかけられていてオレンジのマリーゴールドの花がいっぱい飾られています。
カラベラたちもちゃんといる。
映画「リメンバーミー」でも重要な意味があったオフレンダ。写真が飾られ祀られることで死んだ人も記憶の中で生き続けられるという習わし。
亡くなった人の好きだったものなどを供える風習のようだけど、フリーダのオフレンダは素敵なものに溢れている!
日本のお盆の仏壇に似ているけど、メキシコの祭壇はとても明るく賑やかでカラフル。
フリーダはずっとメキシコ人の心の中で生き続けているんだろうな。
フリーダとディエゴ…愛について考えてみた
フリーダの夫で画家のディエゴ・リベラについて私がずっと引っかかっていたことをハビエルに聞きました。
「フリーダは眉毛が繋がってるものの美人。
なのになんであんな太って醜い浮気し放題でフリーダの妹にも手を出すようなモンスターおじさんと結婚生活を続けたの?
メキシコではディエゴはどういう扱いなの?
メキシコ人の感覚では、ディエゴに魅力あるの?」
ちなみにディエゴの写真…なぜモテた??
ハビエルは、
「メキシコでも全世界共通でディエゴのルックスは醜いよ。 でも絵の才能は素晴らしいからメキシコではフリーダと同じくらい有名で尊敬されているよ。 才能とかカリスマ性に惚れたというやつじゃない?」
まあ、そうでしょう。才能でもないと惹かれない。
身体の痛みに生涯苦しめられた交通事故と同じように、ディエゴとの出会いも、生涯苦しむことになっても付き合っていくしかない逃げられないさだめだと思ったのかもしれないな。
性的に奔放だったフリーダにとっての「愛」っていうのは、ディエゴでしかなくて、苦しみを伴うものとして受け入れていたのかな。
「愛し愛されて平和で穏やかで幸せ」なんて甘っちょろい世界に生きていなかったんだろうか。
青い家の中でそんなことをいくら考えても、私にはフリーダの苦しみや愛を丸ごと理解できるはずもなかったのでした。
ディエゴは理解していたのかな。
彼女が、痛みや苦しさと絶望の中、人生最後に描いたスイカの絵に書かれていた言葉。
「Viva la vida(自分の人生を生き尽くせ、人生万歳)」
このメッセージの重みが私に分かる日が来るのか来ないのか…。
ぐるぐる頭を悩ませながら、死者の日のパレードへ向かいます!