フジロック2017年の2日目。因縁の2人。
フジロックに先週行ってきたのですが、着いた途端からずっと大雨。ほとんどの衣類が、テント設営時の油断によりずぶ濡れになり、常に生乾き臭を放ち続けることとなりましたが、とても楽しめました。
29日(土)のみの参戦でしたが、何だかオザケン一色な夜になりました。
断っておきますが、私は小沢健二のファンでもなければ、90年代のオリーブ女子でもなく、渋谷系でもありませんでした。フリッパーズギターと言えば、予備校ブギが浮かぶ普通のアラフォーです。小山田とオザケンが渡辺満里奈を取り合ったから解散したとかいう嘘の都市伝説を耳にしたことはありますが、真相を解明しようとネタを探るほどの興味もなく昭和を終えました。
そんな小山田圭吾ことコーネリアスと小沢健二がフジロックの同じ日の違うステージで時間差で立つなんて、主催者側が面白がって組んだとしか思えないタイムテーブル。とりあえず、初の小沢健二の生歌を聴いてみるかと参戦しました。(コーネリアスはStar fruits surf riderしか知らなかったし。)
1ラウンド目のオザケン
ホワイトステージ「魔法的」
そう。今年のフジの2日目は、オザケンがステージをチェンジして2回出ることになっていました。そしてそれぞれにタイトルが付いているという気取った仕上がり。
1つ目は2番目に大きなホワイトステージ。予想以上に観客が殺到し、開始前から入場規制。ほんまにオザケンってそんなに知られてるのか?と不思議でした。まあ、CMにやたらと使われてるし、宇多田ヒカルとか若者のカリスマ加藤ミリヤとかがカバーしてるし、興味本位だろうな〜と思っていました。一曲目、スチャダラパーもスカパラホーンズも出てきての「今夜はブギーバッグ」で、ドカーンっといきました。小沢氏は、ステージの少し後ろに引っ込んだ形で、仏様くらいの白い光を放っていて姿がシルエットしか見えません。ステージ上のスクリーンには、普通、ステージで歌っているアーティストが映し出されるのですが、小沢氏は全く映らず歌詞が映し出されます。
オザケンを「王子様」と崇めていたアラフォー女子の夢を壊さないために、奥に下がり気味で変な後光をささせてスクリーンに映し出さずに夢を守る作戦か…。
そう思っていましたが、恐ろしいくらいの大合唱。大カラオケ大会。年末の何万人かで大阪城ホールで第九を歌っているのに匹敵するほど。
ライブで大合唱してる人が近くにいると、耳障りで、「お前の歌を聴きにきたんちゃうねんぞ!」と心でブチ切れて、さりげなくそいつのワキ腹あたりにひじ鉄を食らわす私ですが、今回はなんだか平和的で魔法的で感動的だったので私も大合唱しときました。
恐らく、王子様の夢を守るためではなく、歌詞の素晴らしさを伝えるために、歌詞を映し出していたのでしょう。それは大成功だったと思います。いい歌詞だな、と気づくパートがたくさんありました。気づきの時間でした。
とにかく白く輝くオザケン
2ラウンド目のオザケン
ピラミッドガーデン「夏休み、我らが社会の偉大なる時計」
23:30からテントサイトの奥の果ての果てのピラミッドガーデンで2ラウンド目。キャンドルジュンのプロデュースした世界観とステージで、アコースティック調なライブでした。
しかし、普通と違うのは、曲の合間に小沢氏が、自分の書いた文章を朗読すること。モノローグと言うのでしょうか。オザケンファンではないので、こういうパターンが、よくあることなのか知りませんが、とても斬新なスタイル。
大雨の中、しっとりと小沢氏が読み上げる文章がまたいい。「夏休み」をテーマにした話で、教育問題や将来のことなど、独特の視点や、文学者の引用文も紹介してくれながら読んでいました。曲の合間に朗読というよりは、小説のような、エッセイのような朗読の合間に曲という印象。大雨の真夜中に、キャンドルジュンキャンドルの灯りの中で聞くのはとても贅沢な時間でした。
キャンドルジュンワールド
「夏休み」の朗読を聞いて考えたこと
全部は覚えていないし、合っているか分からない。前後関係が違うかも知れない。深夜で雨で寒くてぼーっとしながら疲れ切った体で聞いていた言葉のうち、印象に残ったもの。私がそう解釈した小沢健二の言葉を挙げてみる。
アメリカの学校には夏休みの宿題がない。
アメリカ人の妻に何故かと聞くと、
「It's Summer Vacation.」との答え。
休暇なのだ。何もしないのが休み。
夏休みは、ほんの200年前にできた概念で、そのうち消えてもおかしくない。
FAXや電報がこの20年で消えていったように、ケイタイだってそのうちなくなる。
無くならないものなんかこの世にない。
夏休みだって消えていくかも知れない。
「いや、とっくに夏休みなんかないよ」と言う人もここにいるだろう。
仕事の合間の休みという考え自体消えるかも。アーティストなどは24時間365日、仕事のことを考えている。それが当たり前になってる。
学生の頃、授業中に時計をチラチラ見て過ごしていた。
夏休みも同じ。
夏休みが近づいてきたら、何しようとか、例えば、フジロックに行こうと予定を立てて、仕事中に考えたり。
常に意識している。
夏休みは時計のような存在。
社会の偉大なる時計。
僕は見聞を重ねて勉強を重ねてますます驚く。
なんて不思議な世の中なんだろうと。
当たり前とされているのに不思議な物がある。
僕の息子は、日本に来て、自動販売機に驚いた。
どうして日本にはこんなにたくさん自動販売機があるのかと。
僕たちが当たり前だと思っているけれど不思議な物がある。
夏休みもそう。
小沢氏の文章は、本当はもう少しまとまっていて繋がりがあったけど、私の印象に残った部分だけ書いてみました。それを聞いて私が思ったことを以下に書きます。
こういう事を考えて、こういう文章が書ける人が、東京大学で文学を学んだ小沢健二なのかと私は感心した。その人があの歌詞を書いている。
私は、働きながら、オザケンの言う「休み(休暇)」の時計をチラチラ見過ぎている。偉大なる時計。
そして、「何もしないのが休み」という当たり前の言葉。当たり前だと思ってるけど不思議な物があるように、当たり前のことなのに、当たり前じゃなくなってる不思議な現象もあるなと私は感じた。有給休暇という当たり前の制度があるのに使えない空気、雰囲気、社会。
壁時計のない教室は最悪だ。「あと何分で休み時間」と授業中に思えないなんて地獄。
無くならないでほしいな、夏休み。休み。
小沢健二の朗読は、歌よりも、彼の知性を思い切り感じさせ、惹きつけられた。朗読が印象に残るなんて、フジロックで初めての体験。
洋楽のライブを見て、全身で盛り上がり、弾けるフジロックもいいが、今年は雨の中しっとりと日本語の言葉をじっくり味わったフジロックだった。

- アーティスト: 小沢健二,スチャダラパー,服部隆之
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